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1 ふる郷(さと)にて

Abstract

 

憂き世をはなれて、またおいで。

 

バランスが崩れてしまったとき、
わたしは祖母のもとを訪れる。
あらゆる種類の清流が健全に循環する、
みどりゆたかな郷を。

井戸水を汲み、庭の手入れをする。
飯や惣菜を煮炊きし、文庫の整理をする。
生活のための生活をつづける。
いつのまにやら、釣り合いがとれている。

また来るね。
ああ。

それだけだった。
けれども今度は、様子がちがう。

るみ、はやく!

門の外から手を振る、こどものおばあちゃん。
駆けよるおない年のわたし。

道草しいしい向かったのは、
御山のてっぺんの水源地。
滝壺の奥の、水晶の間。
青白く輝くみなもとの「ぬし」。

こわいようでやさしい存在からわたしたちは
郷守りの一族としてのミッションを告げられる…。

光と闇の、純粋なせめぎあい。
魂と魂の、むきだしの交流。
あらまほしき原風景にて展開する、
ハートフルゴーストストーリー。

 

Fragments

 

1 水は嬉しい、はないちもんめ。
数えきれない水の音の風合い。河川敷。小滝のほとり。瀑布のふもと。メダカ好みの流れに沿って坂をくだっていった果て、清潔な雨水をたたえる貯水池。澄みそこねている水はない。とうめいでいないとくたびれてしまう、癒音と騒音は同根だから。流水の博物館。この土地にまた、辿り着いた。

 

2 目をとじていても、そこに在る。
あちこちに木橋が掛かる。そこここに水車が回る。流れにたゆたう水草のむれ。春風に聴きいる摘みほうだいの草花たち。可哀想じゃないよ。首を切られても、すぐ生えるから。花籠をこしらえたら、吊り橋を渡る。道標を、右へ。椿の生垣。苔むした門。なつかしい鋏の音。庭木と向き合う後姿。

 

3 ひさびさの、ただいま。
おばあちゃん。来たか。これ、汲んできてくれ。ぎこぎこ漕いで、ドバドバ放水。木桶の底がきれいにみえる。わたしは、みえない。ふらふら運搬。淹れすぎだよ。まっ白なの、滲んだの、まっ赤なの。ひらきそめた蕾たち。よし、湯あがり美人だ。早く咲かないかな。おまえ次第さ。飯は?まだ。

 

4 朝ごはん、至高。
うとうとする縁側。ちゃぶ台には伝説のトリオ。卵かけごはん。蜆汁。白菜漬。たまにスプーンが恋しい、ぎごちない箸づかい。目の前の所作は、洗練のきわみ。喰ったら行くぞ。どこ?来りゃわかる。茶ばしら、立ってる。そりゃそうさ。芳ばしい香り。滑らかな紫煙。煙管をいっぺん、叩く音。

 

5 おばあちゃん、かわいい。
るみ、はやく!わらべの声音。下駄つっかけて門を出る。まぶしい。満開の椿たちと喋る同い年の祖母。いこ。友達の温もり。奥ゆきのある松林。やわらかくて静かな驟雨。きつねのよめいり、知ってる?麓の駄菓子屋まで競争。居眠り老婆をふたりで起こす。りんご飴ふたつ。はい、大きいほう。

 

6 儀式は、酸っぱい。
みどり滴る霊域。濡れそぼつ敷石。張りつめた安らぎ。真っ白な、御山の番人。その子が瑠未かい。…いい目だ。さ、これをお喰べ。だいだいの実を孕んだ透かし鬼灯。どうして?魂を根こそぎ浄めるためさ。じゃないと上では、くさっちゃうの。放りこみ、丸齧り。スッパーイ!失神寸前の一新。

 

7 ひとの歴史、ゼロ。
清流たちのかけめぐる原初の山道。心底からの風景。いそぐよ。ひとは、すぐにごるから。みえない関所を潜るたび、気が引き締まる。成長してゆく疲れ知らずの体。いただきは郷の水源地。飛びこむ滝壺。苦しくならずに水底の洞穴を急浮上。水からあがるや、礼装。ちがう声。中学生の親密感。

 

8 こわくて、やさしい。
完璧にクリスタルな空間。中心は青みをおびた光源。こわいくらいきよらかで、やさしい。眺めていると熱くなる魂。白い声。…スイ。瑠未。秩序が乱れております。郷守りの一族として、光と闇とを、きちんと拮抗させなさい。痺れるほど眩しくても、腐れるほど暗黒でもいけません。楽しくね。

 

9 夏、真っ盛り。
一瞬で、御山のとば口。唐突な暑気、蝉の声。まばゆい光、濃ゆい影。そよ風で気づくおろしたての浴衣。おかえり。暑いだろ、ほれ。井戸水じたてのラムネ。世直ししろ、ってさ。そうかい。ま、景気よくやんな。純菜の池。どうするの?まずは、村祭りの視察。暮れどきまで、釣りでもするか。

 

10 メダカが、グレた。
屋根のある木舟。水面をおおう楕円の葉っぱ。ふたりの息吹きでかたっ端から透けてゆき、底まで丸みえ。浅いんだ。影の濃い水草の森。蛍光メダカのカオス。余計なこと、しやがって。中心に落とす紅玉。しずかなる爆裂。拡散するきれいな粉塵。喰べた子が、元の姿へと還ってゆく。一件落着!

 

11 やっぱ、リベンジでしょ。
ぬるくて青い宵闇に、雑木林のシルエット。あちこち漂よう紅提灯。徐々に高鳴る、祭り囃子のただなかへ。見上げる矢倉。うわあ、こんなにいたんだ。浴衣は洋服に押されぎみ。とりどりの屋台は、コンビニ出店に遠慮がち。減ったな。えっ。まあいい、何からやる?金魚すくい!見下ろす星空。

 

12 手心を忘れちゃいけねえな、兄さん。
まばゆい水面、みずいろの底。赤い子<黒い子。泳ぐ影たちがくっきり映える。鉢巻おやじ。ブリキの器とポイ。やるぞ〜。…おい、これ7号だろ。阿漕な商売してんじゃねえよ。最厚の4号を入手。見てな。祖母の全盛期、鮮やかな手並み。隔世遺伝の要領のよさ。大漁、大漁。これで半々だね。

 

13 念願の、晩酌。
いらっしゃい!夜は冷えるねえ。うちらが入って、男女が同じ。唐墨と出汁巻。あと、天せいろ。燗にしとく?ああ、二本つけとくれ。あいよ。置かれる頃には、いいおとな。蕎麦は、お申しつけ下さいね。ほれ。一緒に呑むの、はじめて。ん。餓鬼だったからな、おまえ。〆は交互にたぐり合い。

 

14 ようやっと、お出まし。
一服してくる。わたしも!川沿いの腰掛け。秋の兆しをふくんだ虫の音。ふれあう先端。…げほごほ。やめとけ、お前は。闇に溶けてゆく煙。横顔、お姉ちゃんそっくり。…靖代か。悪いことしたな、あいつには。気にしてないよ。賑わいの声を踏みしだき、近づく足音。ずらりと並んだならず者。

 

15 おばあちゃん、本領発揮。
おもむろに腰を上げる祖母。向かい合う貸元。…随分と派手に、遊び回ってくれたな。こっちの台詞だ、ちんぴら。あんたらもう、用済みなんだよ。郷守りさまに偉そうな口をききやがる。なるほど、異常事態だ。俺の縄張りだ、とっとと出て行きな。しゃらくせえ!白黒つけてやるよ、勝負しな。

 

16 伸るか反るかの、水を得た魚。
清浄な四畳半。面子を賭けた、三本勝負。儀式めいた静粛。精確に捌かれる花札。一瞬の判断。転瞬の気合。しばらくの弛緩。あっという間に一勝一敗。捌かれる札。最長の沈黙。決断。勝負!表に返る、柳に蛙。目を閉じ、天を仰ぐ貸元。これが道理さ。今後は、分をわきまえな。…わかったよ。

 

17 祝勝会は、闇のなか。
夜更けのあぜ道。まっくら闇の大合唱。先導役は、鬼火の一族。ひろがりのおちこちで明滅する、黄緑色の無数の螢。…この先に何かあったっけ。らちも明けたし、こんどは祝杯だ。真夜中の蔵元めぐり、悪くないだろ?街道に浮かぶ、個性豊かな紋提灯たち。各々の玄関には、△に積まれた酒樽。

 

18 どうやら、ボーナスステージが。
吉野の枡をもち歩く巾着。頑固おやじ。女所帯。前衛追究。伝統墨守。個性を映した銘酒たち。喉元過ぎればさっぱり消える、酔いたきゃセルフで匙加減。もう一杯!底までさらってやっとこ半杯。…すまん、種切れだ。何だ、けちけちするな。滝守りの爺いが、すねてるのさ。柄にもねえ、失恋でもしたのか。

 

19 のんべんだらりと、鬼退治。
酒仙の滝への裏街道。曲がりくねりの両脇に、妖しく光るは紅の老樹。おとなしく散る葉。手の平へ、溶ける。盛りを過ぎれば枯れてゆく。世界も、わたしも。酒源地の水って、どんな味?甘露、甘露。うそ。ほんと。…やれやれ。完済するまで、滅私奉公の運命か。蛇の道は蛇ってやつ?毒には毒ってやつだ。

 

20 酒仙の、殊勝な心がけ。
虫たちはお祭り、終点はひっそり。むき出しの裏側。ぼんやりと光る滝壺の水。とろとろ旨い。けど、味気ない。起きろ、髭じじい。水面から気だるげに形象化。…あんたか。さぼってねえで働きな。もう厭になった。仕事が?道化の役回りさ。旅立ちたい。成程、解った。代役は探すから、安心して離脱しな。

 

21 破られたくない、沈黙。
しらじら明るむ山脈。冬眠しているみずうみのほとり。溶けこんだ、清らな枯木のわたしたち。老女の左手、老女の右手を包みこむ。…まぶしい。ちび助時代の夕暮れみたい。からだが、どうでもよかったころの。冷気に鮮やかな芳ばしさ。のったりほどけてゆく紫煙。ああ、切り出される、予感していた台詞。

 

22 いんちき老女の、おねだり。
もういいだろう、いい加減。目にみえて進行する雪解け。ぬるんでゆく大気。やだ。刹那の静止。…大人になれよ。再始動。住民も、減ってきてるだろ。折角パスしたのにまたぞろ舞い戻るのは、億劫なんだよ。孫が可愛いんでしょ?婆あのなりして言うな。そっちこそ。優しいため息は春の息吹。…還るぞ。

 

23 お別れの、始まり。
早春の新しい流れ。木漏れ日を吸いこんだ若草。椿の生垣。苔むした門。…ちょっと待ってろ。わあい、お土産だ。大きくて軽い風呂敷包み。なに?開けてびっくり玉手箱。もう婆あだけど。開けなきゃいいだろ。また来るね。ああ。次には、様変りかな。そうなるように、頑張るよ。背筋を伸ばし、歩みだす。

 

24 まなざしの、ほとり。
あちこちに木橋が掛かる。そこここに水車が回る。流れにたゆたう水草のむれ。淡雪のように溶けてゆく花弁。我慢のきかない子供の早足。気づけばわたしも、ひと巡り。境界をまたぐ。裸足で踏みしめる白砂。行き止まりには扉の泉。樹木のドームの木漏れ日。しんとしたおもて。映えているリフレクション。

 

25 始まりの、お終い。
わきまえていない世界へ還ろう。あらゆる作法を身につけるために。魂を観て、左の足から。己を表す水の音。浸されてゆくかりそめの衣装。ぬくもりの水底。離されはしない足裏。すり鉢の芯の、水晶の柱。見上げれば、ふる郷の空。唐草模様に左手を添える。溶けてゆく。幕開けのように、目が覚めてゆく。
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