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2 いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)

Abstract

 

止めたいのなら、殺してください。

 

時は江戸時代。
みなしごとして隠棲の兵法者・笙庵(しょうあん)に
育てられたアヤメは、長ずるに及びその才を見こまれ、
公儀直属の暗殺組織・白狼(ハクロウ)の一員となった。

世の平安を、維持するために。
それが旗印だった。
いつしか、えりぬきの精鋭となっていた。

だがある出来事を切っかけにして、
からくり仕掛けのこころの鎧は崩壊し、
ひととしての感情が溢れだす。
目をそらし続けていた、はかりしれない罪業の負債。
襲いくる、はげしい良心の苛責。

おりしも、反乱鎮圧のための京都行で道づれとなった
メンバーのシジマもまた、不穏な気配をまとっていた…。

命のやりとりと、エンターテインメント。
テンションとスリルと、人間の業。
ミニマルゆえに残酷な前近代日本にて展開する、
ツンデレアクション時代劇。

 

Fragments

 

1 宿業
なぜ?これも、ひとの世の報いか。ひたぶるに見詰めあう。朧月。花びらの淡雪。憚られるまばたき。明けそめる前に、決める。鴉からす。梟ふくろう。首切螽蟖くびきりぎす。ええい、耳障りな。あっ!猛襲に無条件反射。沈黙。無傷。飛沫。さようなら。鮮血の沁みこむ絨毯、待ちわびた邂逅。

 

2 弛緩
まぼろしは消えて、凡庸な林。繁みでカラコロ。挙手にて応答。ぐるりと囲む、アヤメ文様の提灯の群れ。あからさまになる現場。きわどかった、か。形式的問答後、後始末。わたしはひま人。物色。回収。白刃の洗浄。柄杓で注ぐお清めの水、うすめて大地の源へ。撤収。水溜りには滲んだ満月。

 

3 独歩
日本橋。かまぼこの頂で擦れちがう子供たち、やわいかまいたち。真新しい〆飾りの行列、目に沁みる葬列。歳末の淀み、浮世の営み、すりぬけて泳ぐ陰気なお遣い。浮わついていても沈んでいても、ひとつびとつがお江戸の点景。鮭の帰還は、ふるさとの川の風物詩。逆走、それがわたしの分担。

 

4 葛藤
庶民には無縁の領域。まばらな人影。ひろやかな樹影。…へんぺいな影でいたかったのに。澄明な青墨に、鮮明な白墨をぶちまけられた。陰惨な吉報を手に、聖域へ。濡れた露地。潜りぬけて触れる新鮮な畳。雄弁な茶釜。ねぎらいの羊羹。濃茶。鴉の羽ばたき。いつだって、口を切るのは狸から。

 

5 命令
ちらついてきたな。…この歳で雪合戦に興じていては、ますます冥途が近くなる。隠遁なされては。おまえには、解るまい。静ひつな一服。新年早々すまんが、もうひと仕事だ。またぞろ、口封じですか。白狼を、召集する。退散する鴉。西方に、擾乱の兆しあり。蛇の道は蛇ですか。毒には毒だ。

 

6 暇乞
青山の草庵。来し方との対面。どうした。懐旧の念に憑かれたか。判りません。親しい水の音。その紅玉は。指環という舶来品です。前庭ではしゃぐ雀たち。…死ぬ気か。お赦しを。待て。艶やかな螺鈿の文箱。玄陽殿より預かっていた。これも、形見と聞いた。渓流のほとりはチャンバラごっこ。

 

7 旅上
けわしい峠の茶屋。ほほを刺す純粋な寒風。お待ちどうさま。同年輩かしらん。一服。馴染の気配。よう。活発な往来。お呼びでなくても腐れ縁、と。きしむ腰掛。喰われる饅頭。京都へ道づれだ。…そう渋るなよ。なぜ?命令。久しぶりに、剣劇で小遣いでも稼ぐかい?斬込み隊長のアヤメさん。

 

8 離脱
おぼろ月夜の松林。先にたつ蛍めいた提灯。後続に二人。雲隠れ。案内人が血祭り、反射的に飛びのく。一瞥。穏やかに納刀。…おれは、降りる。ばかな!そんなことが…。無論、娑婆には戻れん。厳かな梟。謹んで御報告つかまつれよ。今から、野良になる。灯りの置土産。闇に溶けてゆく背中。

 

9 敵陣
闇夜の談合。影を背負う車座。ハクロウ?…白い狼、か。黒づくめの癖に、悪い冗談さ。御公儀じきじきに暗殺部隊でおもてなしとは、有難くて涙がでるね。つまる所、アヤメだ。奴を潰して出鼻をくじく。変名か?ただ、そう呼んでいた。…変り身の早いことだ。習性さ。おれは、野良猫らしい。

 

10 返答
塗り潰された月。鵺の声。…以上。アヤメ、ヨダカ、嵯峨野まで先行しろ。リスクは避け、可能な限り戦力を削げ。了解。質問は?シジマへの対処は。そんな者は存在しない。深海の論理に、大樹のざわめき。よし行け。八角の陣地。八張の提灯。八様の戦支度。返すぞ。鬼灯の簪。触りたくもない、ってさ。

 

11 口上
蝙蝠との再会。完膚なきまでに潰された、か。解っていたはずだ。…変わったな?何が。ひとの目になった。無意識の抜刀。まあ待てよ。世間話をする暇はない。場ちがいな軽佻浮薄。まどろんだ眼。阿片か。…堕ちたな。爆笑。堕ちるもくそもあるのか、今更?さあ、来いよ。顔のある人間だぞ。

 

12 決断
逆袈裟。どうした、浅いぞ。上腕。どうだ?前腕。血の通った過去の?黙れ!ヒャハハハ!左眼に突き。刈り、心地は。忌々しい急所回避。止まらない震え。観てやるぞ…。猪突猛進から羽交い締め。オマエノォ!薙ぎ払い。闇に舞う飛沫。シ、ニガヲ…モ。汗みずく。初の戦慄。続いている凝視。

 

13 堕落
金輪際、まっぴらだ。消えるなら、夜の奈落の底がいい。ふと蓋をとる螺鈿の文箱。わたしのいない歳月の記録。母上。…島原。この世の見納めに、生地巡礼?朗らかな自嘲。シジマの表情。浄められない余韻の染みつく體が動く、足が向く。暗闇に逆らう、人造の極楽。吸いよせられる紅殻格子。

 

14 異客
真夜中からの来客。集まる視線。暗い洗練、異風の佇まい。どきな、あたしの御客だよ。お泊まり?可能であれば。可能ですとも。坪庭を巡る廊下。艶めいた香。お酒は?経験がない。熱燗、つけとくれ。…お前さん、おなごかい。宿賃は、お支払します。ふうん。べつに、どっちでもいいけどね。

 

15 夢魔
無人の回廊。等間隔の燭台。踏みしめる鶯張り。切ってある鯉口。四方にめぐらす神経の触手。彼方が闇に融けている広間。右と左の襖には、一つらなりの山水画。突然ひらく真横。反射する體。認識の瞬間、喉笛を切断。対話する瞳と瞳。…ははうえ。崩折れる、金襴緞子。浸してゆく血溜まり。

 

16 同類
ひらけば、見下ろされている。緋色の襦袢。重なる面影。…だいぶ魘されたね。助け起こされる、虚ろな肉體。拭われてゆく、忌わしい汗。清めるように、沁みてくる冷気。漂うている、懐かしげな香気。青い瞳に、触れる舌先。何を視たんだい?…野暮だったね。ひとっ風呂、浴びるといいよ。

 

17 失踪
凍てついた空に逆三日月。心境とは裏腹な、快晴の兆し。世界が起きるまえに、ひと足でも遠くへ。華のお江戸から。凄惨な業績の集積地から。長崎へ。わたしの歴史の始まりの土地へ。どのみち狩られる運命だ。やけな心の、さしあたりの動機。極楽浄土は西にあり、か。足抜けあしゅらの自嘲。

 

18 交錯
うららかな冬日和。きめ細やかな山肌。うんざりだ、日翳に潜むのは。白昼堂々、来るならきてみろ。ほとりの茶屋の喧噪。香ばしいみたらし。屈託なかった日向の記憶。…つま先に、紙風船。たわいのない軽さ。受けとる人形の手。どうも、すみません。交わる視線、凍りつく微笑。同類の嗅覚。

 

19 宿縁
呉越同舟の渡し舟。婦人に不相応な荷物。冷ややかな警戒心の壁。無邪気に、交互に眺める娘。誤解なさっているようですが、他意はありません。剃刀の敵意。着岸。手を引き、そそくさ離れてゆく母。ばいばいする子。研ぎ澄まされる直感。…また逢うよ、今日中に。恨めしい。気づけば剥き出しな獣の習性。

 

20 泥沼
討手の気配。棄ておけ、なるようになる。裏腹に行動する體。刀で刀の罪滅ぼしか?お笑い草だ。振り払う疾走。月明りの境内。お前は誰だ。森の奥で梟。どけ、殺すぞ。その言葉、お返しします。背後から急襲、納刀と落刀。うめき声の物語る実力差。…退いて下さい。遠ざかる殺意達。虫の音。放心の同類。

 

21 感染
清冽な渓流のほとり。よどんだ昨晩の余韻。御免なさいね。疑心暗鬼は当然です。ぬらりとした井守。逃げ切る積りですか。いたいけな忍び足。結局、やるかやられるか…皆殺しにしてやる。村雨にそうっと近よる右手。駄目!驚く純粋な瞳。触ると、鬼になるよ。あなた、おになの?…なり損ねた、半端者。

 

22 分岐
魂に沁みてくる茜色。光の届かぬ軒下。こどもを交えた皮算用。…先遣隊は…網は既に、打たれているはず…分散させるのなら、有利な地形が…。深い森へと伸びているあぜ道。沈んでゆく、見渡すかぎりの休田。噂通りの二又。お別れね。幸運を…いや、悪運を。とても自然な微笑み。ばいばい。さようなら。

 

23 駄駄
襲撃は藪の中。個性を塗り籠める暗闇。心と裏腹、活躍する體。屍が伝染、凪へ向かってゆく水面。沈黙の復旧。…無益な真似はやめて下さい。殺人鬼の訓戒とは、痛み入る。不毛だ!なぜ判る。何?とり引きやり取りは世の常だろう。素直に死んでくれるというのか?蠢く醜い執着。自嘲。納刀。居合の構え。

 

24 遺言
孤独な大返し。深海からの脱出。望月に照らされる重罪人。肉眼を閉じ、両手を両耳へ。研ぎ澄ます全霊のアンテナ。嗅ぎつける禍事の気配。再び、水底へ。終了した修羅場へ。燃え盛る瞳と、見たくもない下半身。うらやまぁ、じぞうどぉ…。任せて下さい。交わされる無言の合意。はじめての、自発的殺人。

 

25 出立
打ち棄てられたかりそめの聖地。純真な気配へ、清新な指笛。また逢ったね。母さまは?…きみは。聡明なまなざし。わたしと一緒になった。口から出るに任せた言葉。いっしょ?みなしご。みなしご?独りで、生きてゆくこども。おさな心に浸透する真意。行こう。小ぶりな掌のぬくもり。夜明けは、まだ先。

 
 
 

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