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10 白鷺の住まい

Abstract

 

粋になりたきゃ、鬼になれ。

 

大正ロマン、華やかなりしころ。
ようやく売れはじめた私小説作家の城島は、
勝負のかかった新連載の執筆に専念するため、
金沢のひなびた温泉宿に滞在していた。
気晴らしのそぞろ歩きの最中、
ひょんなことから地元の粋人、江端の知遇を得る。

ある月の鋭い夜。
今夜は、雪をんなが出ます。
自信ありげにそう告げた仲居の言葉を裏づけるかのように、
夜更け、江端から誘いの電話を受ける。

好奇心に負けて出迎えの自動車に乗りこんだ
城島を待ち受けていたのは、
作家の想像力を嘲笑うかのような、
奇態かつ潔癖きわまる官能の世界だった…。

ものずき。粋狂。風変わり。
こともなげに取り払われる、
おとなとこども、東洋と西洋、現実と幻想の境界線。
つぎはぎの桃源郷にて展開する、懐古趣味フェイク私小説。

 

Fragments

 

1 書道なんて邪道
書き初めのために、墨を磨っている。なかなかよい文句が浮かばない。庭の雀を眺めていたら、語りかけてきた。紙は昼、墨は夜。文字とは、闇の足跡なのです。筆をとる。おろしたての白毛にたっぷり含ませ、しっとり整える。手本をなぞるようにすらすらと走る。澄みたるはなお濁れるが如し。

 

2 予言なんて夢幻
落っこちてきそうな鋭い月だ。今夜は、雪をんなが出ます。夕餉を運んできた仲居が、飯をつけてくれながら断言した。なぜです。風がうんと強くって、紙吹雪みたいに舞っておりますでしょう。ここらでは芝居風花と申しまして、前兆です。なるほど、狂言じみた景色だ。なべて余は是非もなし。

 

3 夜中なんて日中
江端様から、御電話が。もしもし。やあ、先日はどうも。済ませた処です。今からですか。拝見したいのは山々ですが、雪も募ってきますし。はあ。まあ、好きです。酒仙の誘惑には敵いませんね。…どういう意味です。かんかん照りよりは余程、肌が合います。よろしく。鬼に逢うては鬼に従え。

 

4 酒肴なんて虚構
江端です。晩飯は喰いましたか。そう。例の別邸に居るから来ませんか。襖絵を観たいんでしょ。宿まで車を寄越しますよ。酒はどうです。極上の葡萄酒があるよ、河豚の卵巣も。じゃあ、後ほど。ああ、あなた、暗闇はへいちゃら?馴れあえる口ですか。結構、それでは。闇に長ずれば翳となる。

 

5 因縁なんて妄念
女将さん、ちょっと出ます。あら、これからですか。江端氏に召喚されまして。お気をつけになって。あの方、飛んだ物数奇ですから。解ってます。いいえ、解ってない。お親しいんですか。腐れ縁、ですわ。雪を踏みしだくタイヤの音。さようなら。なぜです?粋狂です。夢の訪れ、身はお化け。

 

6 視覚なんて錯覚
恐れ入りますが…。目隠しを?旦那様の御指図でございます。興趣を引き出すための工夫、と。雪景色の誘惑は、好奇心にたやすく呑まれた。では、参ります。上品な振動。ゆき届いた運転。夜気の沁みこんだ純白の路に刻まれてゆく二本の轍がはっきりと、視える。苦界へ逝くか、極楽へ逝くか。

 

7 隠家なんて陰火
停止。開扉。頬を刺す寒気。左手をとるか細い指。彼方へ消えてゆく走行音。おいであそばせ。…参りましょう。口調も。挙措も。寄添う着物も。熱が無い。敷居を跨ぐ。飛石を渡る。外しては駄目ですか。いけません。いつまで。子供が、目を覚ますまで。背後で閉まる戸。興を喰らわば骨まで。

 

8 良識なんて様式
凍てついた回廊。付き添われ、不便はない。どうぞ。仄かな沈香。楽になさって。厚手の座布団。手前は炭火。何やら整える音。どう研ぎ澄ませても、二人きり。火鉢が、この世のへそ。篠原さんは?夢中です。十一回打つ柱時計。覚悟を決めた。…雪をんなと申します。大人は棄てよ、ただ狂え。

 

9 快楽なんて磊落
静謐な狂宴。無形の酒肴の数々。絶妙な世話を焼く氷の指に、背筋が伸びる。薀蓄を述べる青白い声色に、神韻を聴く。くちびる。喉仏。こらえきれない喜悦。隈なく観られている気配。潔癖きわまる官能。掌を吸う茶碗。甘味を洗う濃密な苦味。お粗末様でございました。草木も見えぬ真夜中だ。

 

10 安眠なんて憐憫
お休みになりますか、湯浴みをなさいますか。しかし。ご遠慮なく。猛烈な葛藤。耳障りな虫の音。いま、正義とは何だ。雄弁な着物の香り。形式を滅茶苦茶に踏みしだく未来が、視える。…休ませて頂きます。心もちあらく開いた襖。温めてある蒲団。慇懃な挨拶。ぼうやは行者だ、ねんねしな。

 

11 覚醒なんて習性
雪の朝の雀。消えている目隠し。静謐な洋室。二対二の会食。さて、どっちが雪をんなだ。華やかな着物、魔性の微笑み。冴えざえとした着物、想いつめた青い凝視。…真面目だなあ。ひねりってもんを知らない。王道信奉者なもので。書くつもりだろ。書きませんよ。夢は逆夢、うつつはうつつ。

 

12 遊戯なんて演技
喰ったら始めよう。何を。粋狂ごっこ。昨夜から、結構なおもてなしを頂戴してますが。今までは僕、ホストだったから。一緒に混ぜてよ。お誂え向きだなあ。やさぐれ紳士と莫蓮淑女、むっつり文士と雪をんな。これも因果の道理だね。貴方が仰ると、冗談みたいですわ。目配せは深入りの始め。

 

13 観賞なんて談笑
敷きつめられた緞子縁の畳、清新な香り。碁盤目に並ぶ、つぎはぎの器たち。壮観ですね。金継ぎはいわば、器の木乃伊だね。蒐集なさった?飽きたら、かたっぱしから叩き割るんだよ。そうして、御自分で。いや、ぼくは破壊するだけ。パズルは嫌いだから。…じゃ、やろうか。鵺心あれば夜心。

 

14 破戒なんて理解
薄暗い小部屋。ぐるりの棚に、等間隔で。名碗の博物館ですね。皆、好きなやつを選んで。生贄の物色。悟りすました鯉たち。わたし、これがいい。寒牡丹、結構。城島君は?暗雲漂う渋柿色、舐めたいまろやかさ。やるね。もっと、どしどし選んで。…おい、ぜんぶ庭へ。潮時の鷹は爪を露わす。

 

15 謙遜なんて損損
入り乱れて散り敷いた、無名の残骸。死んだのかしら。じゃないと困る。蘇生させたら、土産に送りますよ。池端の茶席。きみは目は利くけれど、丁重すぎるのは損だよ。撫ぜたり、舐めたり、香ったり。遊び心が欲しいなあ。大先生に対して僭越ですがね。痛み入ります。驕れる者は卑しからず。

 

16 観察なんて抹殺
しずかに天から降下する生命。あら、子蜘蛛。真上のみえない糸を抓む。手の甲をさまよう、感触のない存在。近寄り見開く、巨大な瞳。…つくづく、神秘的な動物よね。夕季子さんあなた、殺せて?いいえ、可哀想で。ふっ、とひと吹き。善行を施したから、狼藉でも働こうか。風流人は豹変する。

 

17 屏風なんて狂句
逢魔が時のおとずれ。ころあいだね。心の陽も沈めないことには、愉しめないからね。広間に満ちた新鮮な闇。厳粛に灯される両脇の行燈。物憂げに目を覚ます、六曲一双の桃源郷。渡される燭台。夢遊病者になってごらん。…何を考えてる?地獄か、はたまた極楽か。ナンセンス!景色は気から。

 

18 藝術なんて詐術
躍動する花鳥風月。忘却されるわたくし。この部屋には、いま、なにもない。さまよう四つの脱け殻。寂とした狂宴。舐めるほど近寄る。全てが融けあう地点まで引く。眼福の、堂々めぐり。…いいんだよ、まさぐって。横目に、吸いつきそうな指先。でも、穢れてしまうわ。触らぬ花に利生なし。

 

19 静寂なんて脆弱
青白い両岸をつらぬく漆黒の流れ。ぽつねんと、けったいな屋形船。雪国の夜気に、いきりたつ篝火。冴える視覚に、染みわたる炎。秒針がわりの櫓の音。交わされる透明な盃。どう、清純な寂寞は。箸を置くのも憚られますな。中毒になりそうね。俗世を聞きたくありません、もう。夢中の考え休むに似たり。

 

20 煙草なんて妖狐
のったりと闇にほどけてゆく紫煙。どうです。結構。遠慮するなよ。やらんのです。作家は煙草呑みと、相場が決まってるだろ。偏見ですね。高潔でいらっしゃるのよ、藝術家の鑑だわ。皮肉ですか。とんでもない、激励です。せいぜい滅私奉公しましょう。潔斎しすぎて、餓死するなよ。笑う門には花が降る。

 

21 幽霊なんて非礼
真夜中の参道。等間隔の石灯篭。枝分かれした石段が、闇の奥へと消えている。この世は、凪。麓のとば口。穏やかな提灯が二つ。ここで別れよう。永遠に?お望みならね。平気かい、雪をんなとの道行きは。幻想と怪奇は商売です。失礼な。いいのよ、罪障を積むだけですもの。桑原、桑原。愚痴は迷走の元。

 

22 執念なんて妄念
月のみえない闇の底、押しのけて通る火垂るの灯り。死に絶えた虫たち。寡黙な両名。あたかも最後の生き残り。…丁度いいですね。ええ。決然としている横顔。衣擦れ。下駄の音。実在のあかし。ところで、お視えになるとか。勿論、雪をんなですから。根に持ちますね。因業なんです。剥がぬ道理の皮算用。

 

23 境界なんて状態
上りきった先は、能舞台。それから下りの緩やかな参道。潜ってゆくよう。水底に達し、平らかになり。消灯。あっ。右から左へすうっとゆくまっしろな影。凝視された感触。氷の手が握る。急かされる。無遠慮な速歩き。夜目が効くの?せっかちな衣摺れ。なぜ追うの。耳障りな下駄の音。幽明境を一にする。

 

24 醜態なんて百代
ひそやかな流れのほとり。荒ぶる呼吸。調整に集中。…ひらけば、ひとり。憎悪のドシャ降り。中世・瀆聖・殺戮・雪をんな・刹那の感得・カルマの戦慄。本能からの全力疾走、深海からの脱走。幼児のど派手な転倒。固い現世の感触。おとも無く射し入る月あかり。魂の消えたあわれな腰抜け。死なぬが花。

 

25 結末なんて哲学
まばゆい新雪。なつかしい格子戸。ふくみ笑いの舌切り雀。お還りなさいませ。ご無事で。さあね。は?心底、魂消てきましたから。がらんどうかも知れない。…お届け物です。おもむろに差し出す螺鈿の文箱。中身は御自宅で御覧下さい、と。開けてびっくり、ですか?さあね。終わり無ければすべて良し。

 
 
 

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