§4-4 橋口五葉 ― まじまじ観なけりゃ始まらない
展覧会名:『大浮世絵展』
会場:江戸東京博物館
会期:2014年1月2日〜3月2日
《化粧の女》とおなじく、私家版として晩年に制作された。いわゆる大正新版画の特質がよく表れている。川瀬巴水の諸作とともに、スティーブ・ジョブズのコレクションとしても知られる。
江戸東京博物館ほか所蔵。
今回「朗読をつうじて本を読む」という新しい体験をしてみて、絵画にしても小説にしても、わたしはけっきょく違う立ち上げ方をつうじて物語を楽しんでいたんだな、ということに気がついたんだよね。
してみると映画は、座席に座っているだけで、完成済みの物語と映像を見せてくれるわけか。そりゃ楽ちんだわ。
ま、スピンアウト的に事件の経緯を妄想してみたり、ひらかれた結末の解釈をしてみたり、いくらでも攻めの観賞はできるけどね。いろいろな状態で与えられた物語の果実をいかに自分なりに料理して楽しむか、ということかな。
物語性のないやつは?抽象画とか。
わたしは抽象画にも、物語性は発見できると思う。なにかしらの「かたち」さえつかめればね。繊細な白身魚の刺身みたいに、難易度は高めかもしれないけれど。
でも、べつに無理して見つけなくたっていいでしょ?ひたすら文章そのものの巧みさや、絵具の色彩の美しさだけを味わっていたって。
もちろん、楽しみかたは当人の自由。個人的には、コンセプチュアルな作品もかっこいいけど、やっぱり豊かな物語性を提供してくれる作品のほうが好きかな。かといって、あざとすぎるのはいやだけど。
これ見よがしに泣きわめいたりする映画とか?
最近の日本映画に多い気がするのは、なんでだろうね。
つつしみ深い国民性のはずなのに。
それって、ほんとうに「最近」だけの傾向なの?
会ったこともない老若男女を特定の「国民性」とやらで、単純にひとくくりにはできないだろ。
たしかにね。…ともあれ、やっぱり「髪梳ける女」はいいな。
ほのかに匂わせる演出もありつつ、叙情性もたっぷりで。
橋口五葉はその後、ずっと版画ばかり作っていたの?
ずっとというか、40歳で早世したから。
この作品を制作した1年後、大正10年没。
そうだったんだ。志半ばっていうのは、無念だろうな。
でもだからこそ、鮮烈な印象も与えるよね。
ま、作家本人の人生と作品とは、切り離して考えなきゃいけないけど。
夭折の天才、みたいな?
死んだら、そこでピリオドだからね。
何かのはずみで道を踏み外しちゃって、晩節を汚すような恐れもない。
じゃあアル中になる前に早世しようかな、再来年あたりに。
腕時計のコレクションはちょうだいね。遺言状に明記、よろしく。
いいよ。遺影の写真は、屋久島の縄文杉の前で撮ったやつにしてね。
顔をアップにしたら、分かんないじゃん。
アップになんかしなくていいよ。引きのまんまで。
ああ、それいいね。友人知人にまじまじと眺められるのも、なんか照れるし。
爽やかな笑顔の写真とかマジでやめてほしいわ、もう死んでるのに。
いっそのこと、変顔がいいんじゃない?なごやかなお焼香になるよ。
ある意味嫌がらせだな、それ…。
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