§3-5 ターナー ― 抽象化はキケンな万能薬
展覧会名:『ターナー展』
会場:東京都美術館
会期:2013年10月8日〜12月18日
1833年のヴェネツィア滞在中に描いたスケッチをもとに、バイロンの詩作品からも霊感をえて制作された。「嘆きの橋」とは、左のドゥカーレ宮殿と右のパラッツォ・ディ・プリジョーニ(囚人の館)とをつないでいるアーチ状の橋のこと。宮殿の尋問室においてみずからの行く末を宣告された罪人は、この橋をわたって牢獄へと収監された。
ロンドン・テート美術館蔵。
私はいまヴェニスの「嘆きの橋」に立つ
かたえには宮殿、かたえには牢獄
(第4篇第1連)
ヴェニスに、タッソーの歌の響きはとだえて
歌もなく、ゴンドラの舟夫(かこ)は、黙(もだ)して漕ぎ
その殿堂は、水べに崩れてゆく
いまは、耳にひびく音楽もまれとなり
かのよき日は去ったが、
ーー美の面影はなおただよい
(第3連第1〜5行)
ジョージ・ゴードン・バイロン『チャイルド・ハロルドの巡礼』(1818)
阿部知二訳『バイロン詩集』(新潮文庫)
【参考資料】『ターナー展』図録 P177 セアラ・タフト氏による解説。
詩の引用元および引用箇所も、同頁に従った。
そういえば、激マズラーメンは記憶に新しいでしょ?
まだ舌に、なまなましい味覚が残ってるよ。
じゃあ、Gラーメンは?
そういうメニューがあるみたいに言うな。なにこれ?と思って、箸で黒いのをつまみ上げた瞬間の気色悪さは覚えてるよ。でもラーメンの中身とか、ペコペコしてた店員の顔はもう忘れた。
どうでもよかったし、なにより記憶から消したかったからだよね。お店のイスのデザインとか、隣のお客の反応とかの情報も、いらないと思った。
まあラーメンにGがインしてたってだけで、充分すぎるでしょ。
それでこの絵なんだけど、フラットにみてまず気になったのが、前方の影の部分。そこから周囲に目を走らせるにつれて、どこもかしこも崩れている世界なんだと気づいて、不吉な印象をもった。
いま言われたからかもしれないけれど、たしかに、影が前にあるように見える。画家ならちゃんと、そういう効果を計算するんだろうね。
七年後にいざ描こうと思って、バイロンの詩を読みつつ追憶のなかでゴンドラに揺られていたら、水面に揺らめく影たちが、突如としてぞわぞわと這いのぼってくるではないか!そちらの船でも、あちらの岸でも。カタストロフは、唐突に訪れた…。そのイメージを写実的にではなく、感覚的に表現してみたい、と思ったのかも。
まあ、想像を羽ばたかせるのはキミの自由さ。
ゆえに、まがまがしい影の記憶を抽象的に、かつ鮮烈に表現したその瞬間、山奈靖代はJ.M.W.ターナーと、図らずも時空を超えたみえない縁(えにし)を結んでいたのである。
わたしのしょうもないブラックメモリーと、いっしょにしたら失礼だろ…。でも、印象派とかより先にそのコンセプトで描いたんだとしたら、面白いね。
『ヴェネツィア:翳の印象』っていうタイトルでもいけそう。
もうよそうよ、悪夢を耕やすのは。もう一本飲まない?あんたの好きなのでいいよ。
げっ、空いてる!いつの間に…。――それなら、白がいいかな。このドイツワイン、茶色のボトルもラベルも奇麗。すみません、これって美味しいですか。
マスター:ラインガウ地方のものですね。上品な甘みがあって、美味しいですよ。アルコール度数が低いので飲みやすいですし。
じゃあ、お願いします。
ほんと、見た目だけで決めるよね。
見た目がすべて。でも薄っぺらくハンサムかどうかというより、全体としての表現が好ましいかどうか、ってことだからね。
いちいち念を押さなくてもいいよ。
すこしでもイメージを挽回しようと思って。
いやだから、もうバレてるし…。
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